だれがアルマを作ったの?

ハンス・リッペルスハイが世界で初めて望遠鏡を作ってから、その後の望遠鏡はどんどん大きくなり、作るために必要なお金もだんだん高くなってきました。お金持ちの実業家が望遠鏡を作るのに必要なお金を出してくれたり、いくつかの大学で協力して、みんなで使える天文台を建設したりすることもあります。

しかしアルマのような大きな天文台は、お金がかかりすぎて大学では作ることができません。ひとつの国が作るにしても、お金がかかりすぎます。アルマは合計で約1000億円以上もの費用をかけて作られました。これはたくさんの国が協力して初めて可能になることです。アルマは本当の意味で国際的なプロジェクトなのです。

1980年代から1990年代にかけて、3つの天文学者のグループが宇宙からの電波を研究するための大きな観測所を作る計画をしていました。1つめのグループはアメリカのグループで、MMA(MilliMeter Array(ミリ波干渉計))という名前のプロジェクトでした。2つめは、ヨーロッパのグループで、LSA(Large Southern Array(大型南天干渉計))を作る計画をしていました。3つめは日本のグループで、 LMSA(Large Millimeter Submillimeter Array(大型ミリ波サブミリ波干渉計))を作る計画をしていました。

アルマ望遠鏡は、この3つのグループが協力することで生まれました。まずアメリカとヨーロッパが2003年2月25日に、アルマをいっしょに作る約束を結びました。その1年半後、2004年9月14日に日本もこの国際プロジェクトに参加することを決めました。望遠鏡の新しい名前はアルマ(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array(アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計)の頭文字のALMA)です。アルマは、スペイン語で「たましい」という意味です。美しい名前ですね。

アルマの写真をよく見ると、4種類のアンテナがあることがわかります。全部で66台あるアンテナのうち、25台はアメリカで作られました。別の25台はヨーロッパで作られました。さらに16台(大型4台、小型12台)は日本で作られました。みんなで協力してアルマを作ったのです。

その間にカナダと台湾、そして韓国もアルマ計画に参加し、北アメリカ、ヨーロッパ、東アジアが協力することになったのです。もちろん、これらの国はアルマ望遠鏡の建設地であるチリとも協力しています。

2009年には、最初に完成した日本のアンテナが標高5,000mの観測所まで運ばれました。

2011年9月には、まだ全体の4分の1のアンテナしか完成していませんでしたが、アルマで最初の科学観測が行われました。そして2013年3月13日、チリのセバスティアン・ピニェラ大統領も参加して、アルマは完成記念式典を行いました。式典にはアメリカ、ヨーロッパ、アジア、チリの人が大勢集まり、とても盛大なお祝いになりました。参加した人の中には、うれしくて泣いてしまったひともいたほどです。